【プロローグ・噂の台北】
2024年梅雨明け近くの奥武山公園。練習会で台北マラソンの妙な噂が出回った。
「日本人なら全員出走可能だ」
「日本人ランナーはお金を使うから最優先」
「平坦なコースで気温も快適、記録更新を狙える」
「上位入賞で賞金が出る」etc…
そんな噂の出所は昨年参加していた片山さん。普段から温厚誠実でストイックに走る片山さんの言うことだけにその噂は僕らの心を鷲づかみにした。突如として片山株が上場した。
台湾と沖縄(琉球)は歴史的な交流(琉球弧)がある。コロナ禍が明けて沖縄には台湾から観光客が来訪している。12月のNAHAマラソンにも台湾から多くのランナーが来ている。
次は僕らが台北マラソンを走る番ではないか。
コーチの弁慶さんは中国留学経験がある。言葉も何とかなるだろう。噂で始まった台北マラソン。憧れ、食欲、好奇心、初海外、記録更新など様々な思惑が集まっていく。
そうして11人のメンバーが台北マラソンへの出走を緩やかに表明する。
そうだ台北を走ろう。
【台北マラソンへの道】
台北マラソン(フル・ハーフ)は1986年にはじまり毎年12月(NAHAマラソンの2週間後)に開催される。1986年から始まり最近は27,000人以上のランナー(フル9,000人)が参加。台北市内の主要な観光スポットを巡るルートで台北101や中正記念堂などを背景に走る。比較的起伏の少ないコース設計のため、初心者でも挑戦しやすい大会とされている。
那覇からは毎日数便のフライトがあり時間は90分、往復3万円、時差1時間と沖縄からは身近な海外レースだ。
ところで、台北マラソンへ出走を表明した10人のうち公式エントリー(参加料約9,000円)の当選者はたった2人だった。残る落選者は片山さん発信の噂に首を傾げながら、抽選不要のゴールドラベル(約50,000円)、ランネット(20,000円)で何とか無事に出走権を手にしていた。片山株急落する。
【大会前夜】
エントリーが決まったは良いけど、みんな秋の大会や12月1日に開催されるNAHAマラソンに注力していた。台北への準備は曖昧だった。旅慣れた人もいれば初海外の人もいる。ネットを駆使する人もいれば口コミや勘を頼りにする人もいる。みんな緩やかに情報交換してフライトと宿を決めていく。10人のうち残念ながら一平君が急遽仕事で不参加はちょっと寂しい。
宿とフライト以外は何も決めず(決まらずに)に大会前日の朝が来る。閑散とする那覇空港国際線ロビーに桃太郎と大人7人が集合。

順調なフライトで台湾桃園国際空港に着いてからは、両替、Wi-Fiレンタル、抽選会(全員ハズレ)、トイレと2時間右往左往する。期せずしてBTRC徳島支部の聖子さんを到着ロビーで待つ。これで大人8人。
台北市内に着いてからは何はなくともカーボローディング。麻乃さんが下調べしていた台北駅近くの劉山東牛肉麺(220元)。


牛肉うどんに似た風味に持ち込み台湾ビールと胡椒餅(60元)で上陸を祝うのであった。

店には僕ら同様にスーツケースを持った観光客もいれば地元の人も利用していて行列が絶えなかった。
お腹も満足してMRTに乗ってEXPOへ。寒風吹く中、会場入りの行列に並びつつ片山さんも合流。これで大人9人。

展示会場に溢れんばかりのランニングや健康にまつわる企業展示ブースが立ち並んでいた。通路をすれ違うのも一苦労。国内大会の受付とは異なる雰囲気もあってまさにEXPO。ランナーの高揚感が伝わってくる。

ただその高揚感に水をさすものもある。adidas製作の参加賞は細めのセクシータンクトップで気恥ずかしい。当日の手荷物を預けるには専用バックが指定されている。そうでないと手荷物を預かってくれないルール。250元(約1,000円)の割には微妙なえんじ色で素材も大きさも使い勝手が悪い。

一度購入すれば次回大会以降も利用できるとのことだが、それ以外は早稲田、楽天イーグルスの応援でしか日の目を見ない逸品。経験者の片山さんの助言がなければみんな手荷物を預けることができなかった(誰もルールを読んでいない)。片山株が少し回復する。
無事にゼッケンを手にして東門市場にあるホテルにチェックインして徒歩で夕飯のお店へ。ここは地元民が多い様子で20分ほど待つ。小籠包を中心とした料理でエネルギーを補給する。

大勢で囲む中華料理は多種多様でお腹いっぱいだが、僕らの熱量に比して小籠包の温度が低かったのは少し残念。このときもまだ誰もコースを調べておらず、翌朝、店の前(中正記念堂周辺)を走ることになるとは思いもしなかった。帰り道、なんと「沖縄饅頭」とのお店発見。

黒糖ふくれ菓子なのだが味は笑っちゃうほど口に合わない。沖縄の名前を返上してほしい。
【いざスタート・台北を走る】
弁慶さん曰くスタートの4~5時間前に起床するのがベスト。ただし台北マラソンの朝は早い。フルは6時30分、ハーフは7時にスタートする。2時30分には起床する生真面目な人もいた。
ホテルから台北101のふもとにある市役所前スタート地点まで暗闇の中をタクシーは会場へ向かう。会場が近くなるにつれて照明に誘われ徐々に四方八方からランナーが集合する。

銀行ビル前で準備運動。ここでKurtさんも合流。これで遠征に来たBTRCメンバー大人10人が全員集合。みんなBTRCシャツに身を包み健闘を誓い合いそれぞれのペースに合わせたスタートブロックに向かう。
この頃から徐々に夜が白白と明けていく。トイレ待ちでスタートギリギリになるトラブルもあったけど、曇天のもと、花火上がるスタートゲートをくぐり抜け緊張と高揚が交錯していく。

多くの台湾国旗がゆれる大通りを一直線に5km西へ向かう。

中正紀念堂をぐるっと周り駅前道路を北へ。

15kmくらいまでは大都会を大勢で疾走していく。BTRCのメンバーに抜きつ抜かれて、弁慶と桃太郎の声援を受けて、それぞれ海外での孤独な走りが始まった。
さて、そんな孤独を励ましてくれるのが沿道からの応援だ。首都ということもあって大応援を期待していたのだが声援はちらほら。それでも遠くにチアガールや明るい色の民族衣装を身に纏った集団を見つけ、また黄色い声援を耳にして、胸躍り近づく。しかし、そこには何とも妙齢なハイミセスばかり。

ハイタッチも心なしか穏やかで手の温もりから人生を感じる。朝に強い年齢層は万国共通であることを実感する。もちろん合言葉は「加油(がんばれ)」と「謝謝(ありがとう)」。
15kmを超えたあたりから後発のハーフマラソンランナーと合流し急に人口密度が高くなる。ハーフランナーのスピードに翻弄されてちょっと調子を狂わされた。これまでフラットだったコースも一気に高速道路へ駆け上がっていく。普段は走れない高架式の高速道路から眺める台北市街地の眺めは壮観だった。空が近くなる。
この空が晴れていれば尚更気持ちよかっただろうな。一方で高速道路には応援はない。冷たい風の中、黙々と曇り空を彷徨う。聞こえてくるはランナーの足音と自分の愚痴のみ。台北がちょっと辛い。孤独だ。
高架から下へ目をやると基隆川沿いをトップ選手達が市街地に戻る姿が目に入る。
25kmを過ぎて高速を降りると河川敷コース。フラットで良いけどアーバンな雰囲気から一気に牧歌的な郊外へ。そして風が強い。寒い。台北さらに辛い。
そんなとき遠くから聞き慣れた音楽が流れてくる。そう「YMCA」だ。私的応援団が自発的に流して踊っている。NAHAマラソンの影響を受けているなと勝手に想像しながら両手をあげて「Y・M・C・A」。ここにもNAHAと台北のつながり(琉球弧)を感じる。そうだ僕らは孤独ではない。
河川敷の終盤35キロ付近ではビールと地元のおつまみを振る舞う謎のハイテンション高齢者集団。

僕は疲労のあまりハイミセスの配る練り物か何かに手を出す。

しかし味も食感も初めてで思わず口から吐き出してしまった。なんじゃこりゃ。はやく水が飲みたい。流石にビールを飲み者はいないと思ったら省一さんはビールを飲んで良い気分だったそうだ。ビールを飲んでPBを出した省一さんはすごい。
河川敷を終えて、ここからはまた市街地に戻る。沿道の観客も増えてきた。ゴールは近い。ここからは最後の力を振り絞ってスピードが上がっていく。

【ゴール後の楽しみ】
ゴール直前の多くの声援に励まされ陸上競技場に入りトラック直線をゴール。自分のゴールも嬉しいけど後に続くBTRCのみんなを待つのも楽しい。麻乃さんがいつも爽やかスマイルでゴール。

克さんは楽しそうに動画を撮りながら貫禄のゴール。続いて奈緒美さんもゴール。奈緒美さん、僕や克さんのナオミコールの連呼にも我関せずの塩対応はお愛嬌。それほどレースに集中していたらしい。


ゴール後、メダルとタオルを肩にかけてもらいビニール袋を手渡される。袋に困惑しながら前に進むとドンドンと協賛品が入っていく。水、菓子パン、クロワッサン、おにぎり、プロテイン、菓子、紙パックジュースetc、最後はadidasの黒字に台北/finisherとゴールドで描かれた渋いTシャツ。購入した手荷物用バッグが無ければお土産をホテルに運べなかった。

完走の高揚感と寒さで冷えた体でホテルに戻りしばしシャワーで温まる。その後は片山さんが手配してくれた老舗台湾料理店「欣葉」へ全員集合。桃太郎と大人10人で円卓を囲んで次々出てくる料理に舌鼓を打つ。

台湾ビールも紹興酒もマラソンの熱気で全く酔わない。みんなで笑って食べて飲んで心身ともに温まってくる。フルマラソン後に昼から打ち上げができるのは早朝スタートの醍醐味だ。胸元の完走メダルと脚の疲労が心地よい。片山株がついに復活した。
【観光あれこれ】
マラソン翌日は、九份、十份、テレサテンの墓参りなど、どこへ行こうかと台北経験のある清美さんや聖子さんを中心にワイワイガヤガヤ。特急・準急・普通のどれに乗れば良いのか、両替が必要だ、道を間違える、克さんは電車に乗り遅れるなど、みんなマラソンの疲れも感じずに右往左往。結局十份へ行くことに。山並みの小さな街でみんな思い思いに願い事を書道でしたためたランタンは天高く舞っていった。


ほかにも迪化街、白菜鍋、火鍋、龍山寺、カラオケタクシー、烏龍茶、阜杭豆漿、中正記念堂、蒋介石銅像、早朝ジョギング、足裏マッサージ、夜市、日本料理店、東門市場、魯肉飯、パイパップルケーキなど4日目のフライトギリギリまで、みんな台北を満喫する。











【エピローグ】
台北最後の夜、打ち上げ後にタクシーでホテルに向かっていた。

もう明日で台北とお別れかと呟き窓を少し開ける。どこからともなく聴き慣れた歌が流れてきた。昭和歌謡のメロディーのようだ。耳を澄ます。徐々に近づいて来る。日本の歌がなぜ台北の街に流れているのだろうか。疲労と紹興酒が幻を聴かせているのか。それでも不思議とその歌詞が心地よく染み渡っていく。テレサテンだ。
「もしもあなたと逢えずにいたら わたしは何をしてたでしょうか」
「時の流れに身をまかせ あなたの色に染められ」
「もしもあなたに嫌われたなら 明日という日を失くしてしまうわ」
何度もリフレインしていると歌詞の「あなた」が「マラソン」に置き換わる。本当は恋の歌だけど今の僕らにはマラソンの歌だ。普段はガーミンを腕につけて、サブ4、サブ3、記録、ペース、準備、補給食などにこだわっているランナーも台北では不思議とおおらかになっていた。
時の流れに身をまかせ。
そうすることで改めてマラソンやマラソンが繋ぐ街と人に魅了されたのだ。こうしてBTRCの台湾初遠征は終わった。またいつかみんなで台北を走りたい。時の流れに身をまかせ。
終わり
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