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執筆者の写真RunningClub BreakThrough

5年ぶりフルマラソン完走までの軌跡とこれから

2022年12月4日18時、奥武山公園。



コロナ明け3年ぶりのNAHAマラソンが終わったその会場で一人走る。

自己判断で棄権したその悔しさを忘れないため。



それからは仕事の忙しさを言い訳に走らない日も多く、「このままでは5年振りにフルマラソンを走ることができない。」と不安になった。



そう思った私は、2023年2月1日、奥武山を拠点に練習しているランニングクラブBTRCの門を叩いた。



クラブのHPには、いかにも速そうな会員さんや厳しそうなコーチ陣の写真が載っていて、「敷居が高いな」と感じたのだが、「『ビギナークラス』もあるなら私でも大丈夫なはず(^^)」と自分に言い聞かせた。



練習では迎えてくれた会員さんとワイワイ話しながら走れて楽しかったので「こんな優しい会員さん達がいるなら大丈夫」と直ぐに入会をすぐ決めた。


ランニングクラブ集合写真

その初日に代表の弁慶さんが私へ「1年やれば4時間半切りは行ける。ランナークラスでやってみませんか?」の一言に単純な私は、「はい!」と乗ってしまい、予定していたビギナークラスでなくランナークラスで入会した。



結果、最初の半年ほどは「めっちゃ苦しい( ;∀;)」と何度も思うこととなる。



クラブに入ってからの変化は沢山あった。

それまでは5km~10kmのjogぐらいしかしていなかったのが、動き作り、ビルドアップ、ペース走、20km走などバラエティーに富んだ練習ができた。


自己ベストを目指して走る

速いメンバーの背中を負いながら、走力が同じくらいのメンバーと切磋琢磨しながら走ることで「一人じゃない、みんな頑張っている」と頑張れたし、時には駅伝大会に出たり、皆とのランニング談議に花を咲かせたりの時間はまさに「大人の部活」。


駅伝を走る女性

以前は毎日残業当たり前、休みの日も時には仕事をするという生活が一転、「水曜のクラブ練習があるから」と早帰り、休みはしっかり休む、日曜には4時半起で早朝練にいくのが当たり前。

依然と比べものにならないくらい心身共に健康で充実した生活になった。



そうした中で、「NAHAの前に42.195kmを試しに走りたいし、チームみんなが行くから。」とエントリーした8月の北海道マラソン。



気温30℃からの土砂降りと最高の気象条件(笑)にも関わらず、以前のベストにほぼ近いタイムの5:28:00を出せた。



走るまでは「フルマラソンをもう一度走れる自分になれるのか」と不安だったが、30km過ぎからは「また、フルマラソンの舞台に戻ってこれた!」とウルウルしていた。


マラソン完走

当初目的だったNAHAマラソンは、クラブメンバーにペーサーをしてもらい5:07:30の自己ベストタイムで完走。だが、コーチにも「4時間40分くらいではいけるはず」と言われていただけに「喜びが1割、5時間を切れなかった悔しさが9割」。


NAHAマラソン

自己ベストを出しても「もっと行けた、悔しい。」と思った自分に成長を感じた。



この頃には目標が「3月の名古屋ウィメンズマラソンで4時間半切り」にステップアップしていた。



NAHAの後は3月の名古屋に向けてひたすら走る日々。冬休み期間も毎日走った。



クラブに入る前は月間走行距離が100kmなかったのが12月、1月は200kmを越えていた。



1月の石垣島マラソン(ハーフ)は2:06:37の自己ベスト。

名古屋の前のおきなわマラソンは「4時間40分台が出せれば御の字」と思っていた中で、まさかの4:25:02。



名古屋で目標としていた4時間半切りを早くもクリア…。


コーチと一緒に

目標を達成したことで「名古屋ウィメンズマラソンはタイムを目指さず走ろうかな!(^^)!」と一瞬気がゆるんだ私に、すかさず弁慶さんは「まだ、終わっていない。名古屋がある。」と喝を入れた。


まだ終わってない


「見抜かれてるな(苦笑)。」と思いつつ、有難かった。



おきなわから名古屋の間の3週間は仕事がピークで忙しく、練習ではスピードを意識し追い込んだ苦しい日々だった。



メンタル的にも「sub4(4時間切り)を目指すか、それとも4時間15分切りを手堅く目指すか」を揺れていた。



そんな私に、コーチ陣は常に的確にアドバイスをくれた。



秀光コーチは「おきなわでいい記録を出せた直後だから、あんまり焦らずいこう。」と。俊光コーチは毎回練習のたびに、「おきなわより1分早くゴールするイメージでいくと結果は付いてくる」「腕振りに力が入っているから意識して力を抜いて」と走りを観て個別に声をかけてくれた。



そして、迎えた名古屋ウィメンズマラソン当日。



迷いに迷って決めたレースプランは、「派手に失敗してもいいからSub4チャレンジ。行けるところまで攻め切る。」



その通り、前半はSub4のペースの5:30/kmで刻みハーフ時点のネットタイムは「2時間2分」。「追い込んだらいけるかも」と思って加速した直後、チクチクと腹痛に見舞われた。



足はまだ加速できるのに、上半身が言うことを聞かない。



「マラソンの神様は甘くないな(苦笑)」と腹痛と格闘している中、スライドの向こうに私の名前を呼ぶチームメイトの姿。

お互い苦しんだ表情をしているものの、顔を見て声を掛け合うと一瞬笑顔が戻る。



アウェイなはずなのにホームグラウンドにいるよう。

こんなやり取りするたびに「チームに居て、仲間がいてよかったな」と何度も泣きそうになった。


マラソンに挑む仲間たちと

結果は何とか意地で自己ベスト更新の4:13:18

sub4には届かなかったけれど、シーズン初めの5:25:00と比較するとクラブの名の通り「BreakThrough」できた最高の結果だったと思う。



今年度2024年シーズン、フルマラソンで秋にsub4、年度終わりには3:45切りと入会当初には想像できなった高い目標にチャレンジする。



そして、何よりの目標は、このクラブで学んだ「大会のためだけに走るのではなく、苦しい練習も含めて、走ること自体を楽しむこと」。

この気持ちをこれらも大事にしていこうと思う。


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