主な戦歴
はじめに
人生において、仕事の占める時間は多い。
ここが充実してこそ質の高い生活ができる。
それこそが幸せな人生だ、と教わってきました。
女性も仕事で活躍する場を持つべきだ、という環境のもと仕事最優先、早朝から終電まで働くこともしばしば。
休日は仕事に直結する勉強や交流会に時間とお金を全て費やしていたこともありました。
そんな埼玉県在住、関西人の私に主人の転勤で、沖縄移住という願ってもないチャンスが!
本当は住み慣れた街を離れたくないという気持ちはありつつも、行き先は沖縄!任期は2・3年ということで(聞いていて)、これはご褒美なのかも知れない、と思いました。
2016年4月 沖縄に転居
すぐに仕事を見つけ働き始める。
ほどなくして同僚から「NAHAマラソンというものがある」「お祭りのようなイベントで、県民のほとんどが参加するらしい?」という情報をキャッチ、すぐにエントリーを決めました。
フルマラソンは未知の世界
やるからには完走したいが、自信がない…。
その頃ちょうど3ヶ月完走プログラムを実施しているクラブがあった。
それがBreakthrough running clubとの出会いでした。
マラソン沼にハマる
2016年 NAHAマラソン
気温が高く、完走率53%。
しっかり初マラソンの洗礼をうけつつも、ぎりぎり完走(グロスタイム06.01.55)。
正直、キツイ練習をした覚えはない。でも完走できた。
もしかして、もう少しちゃんと練習すれば、もっといい記録が残せたかも知れない。
そんな思いでクラブの練習会にコツコツ通うようになり、走るたびに自己ベストを更新、仲間と一緒に楽しくて仕方がない時期を過ごしました。
Breakthrough running Clubは、誰でも気軽にマラソンを始められる温かい雰囲気がある。
また、年齢・性別・職業等の垣根をこえて、普段は出会うことのないような方と練習会や懇親会を通して親しくなれたり、その人自身の魅力や人柄に触れたりできる。
経験豊富なコーチ陣のアドバイスは、通うほどに気づきを得ることが多い。
1人で練習できないわけではない。
でも、勝手に自分でアレンジして手探りで練習するよりも、基本に忠実なドリルやフォーム指導を受け、コーチ陣が考えてくれる決まったメニューを全力でこなすことが、目標達成の最短手段だと思う。
何よりも、チームメートの頑張りに刺激をもらいながら、手応えのある練習ができることがいつも走り続ける原動力になっている。
これがこのクラブに8年間もお世話になり、続けてこられた理由です。
コロナ禍で病魔と闘う
2020年5月。
健康についてだけは根拠のない自信があった中で、乳癌が見つかり手術や抗がん剤治療が続き、半年以上全く走れなくなりました。
仕事は全員リモートワークのおかげで継続でき、同僚や離れて暮らす両親にも病気のことを気付かれることはなかかったものの、弁慶さんやチームメイトは気づいて心配してくれていたんですが、さすがに走ることは出来ず…。
その時は正直もう自己ベストを更新したいという気力はなく、ランニングは辞めようと思っていました。
それでも仲間のおかげで、2021年に入ってなんとか練習会に参加できるまでになりました。
■2021年3月 名古屋ウィメンズマラソン(03.58.06)
まだコロナ禍で開催も危ぶまれる中、名古屋ウィメンズにエントリーしていました。
参加の目的は、大会の雰囲気を感じて
・また過去の自分を超えたいと思えるように
・身体が正常に戻り、思い通り走り出せるように
・記録を狙うレースにまた挑戦できますように
という願いを込めたもの。
[当時のnoteより]
「昨年のウィメンズはサブ3.5を目標に練習を重ねてきましたが、志半ばコロナ禍で乳がん発症。
治療を進め、残りの時間どう生きるかを考えたとき、私はマラソンの練習に時間を費やす事を選びませんでした。
しかし目標を失った途端、どんどんメンタルが弱くなっていき、結果、病気を理由に自身を甘やかしている事に気付きました。
1キロも走れなくなった私に、『目標は持たないとダメ』といってエントリーを奨めたのは夫でした。
オンラインでの出走を検討する中、『レースはLIVEじゃないと』という、主治医の言葉にも背中を押されこの状況下にスタートラインに立てることに、感謝と特別な想いが溢れます。
また走りたい気持ちを思い出すように。
大会の雰囲気を感じて、また過去の自分を超えたいと思えるように力を尽くします。」
膝を痛める
■2022年3月 東京マラソン(03.37.11)
病気が発覚した頃、2021年 東京マラソンに当選。
コロナの影響で実際は2022年3月に開催となりましたが、その頃にはようやく『自己記録を更新したい』という目標を取り戻していました。
PCR検査やいくつかのハードルをクリアし、なんとかスタートラインに。
気象条件にも恵まれ、都庁前をスタート。
ワシントンホテルを突き当たると左折し、甲州街道を並走していくと、以前勤めていた会社が見えてきました。
沖縄にくる直前までは間違いなく私の居場所がそこにあったのだという想いと、病気で亡くなった上司のことなど、色んな思い出が走馬灯のように巡りました。
弁慶さんからは「最初の5キロのくだりは抑えて」「あとは感覚で」と言われていましたが、コントロールがきかず、次の5キロはさらにペースアップ。
結果、25キロ以降に膝が痛くなり、2回立ち止まるという悔しいレースとなりました。
■2022年8月 北海道マラソン(04.48.54)
東京で悔しい思いをしたため、すぐに次のレースにエントリー。
どうしても早くサブ3.5がしたかった。
しかしながら痛めた膝が治らず、思うように練習ができません。
さまざまな先生にお世話になりましたが、ついに当日までの5か月間ほとんど走らず、10kmでDNFするつもりで出走しました。
ですが、大会の雰囲気も手伝ってもっと走りたくなり、なんとか最後まで完走できました。
沖縄から遠く離れ北海道でも、素晴らしい走りをした仲間との遠征は最高に楽しく、またしても「早く治してまた走りたい」という意欲が沸いてきました。
そこからクラブでのドリルやフォーム改善により積極的に取り組みました。
密着取材をうける
NHK沖縄「きんくる」
2022年のNAHAマラソンで密着取材を受けることに。
正直、密着取材を引き受けることには迷いがありました。
それでも引き受けた理由は、
・今まで振り返ることがあまりなかったから
・もしかしたら誰かの元気につながるかも(※結果、この番組を見て、のちにBTRCに入会された方がいます。by倉岡)
・何より自分自身が頑張れるかも
という安易な気持ちからでした。
日が増すごとに心配事が増えました。
果たして、こんな僅か3年程の経験と当日の走りが番組に貢献できるものなのか。(←大げさ)
でも、またしても、いつの間にか周りに助けられ協力していただいたおかげで、自然に、そして素敵に仕上げていただき感動のオンエアーとなりました。
撮影に協力してくださった皆様、本当にありがとうございました。
はじめてのサブ3.5
■2023年11月 神戸マラソン(03.29.51)
こちらは、ネットタイムで初めてサブ3.5を達成したレースでした。
ガーミンやストラバで長めのメモを残しているので、ぜひ繋がって読んでもらいたい。(笑)
[後半抜粋]
海沿いの風は気持ちよく、須磨海浜公園までは馴染みの懐かしい景色を楽しみながら なんとか3:30の集団の中で脚を進めていく。
よし!30キロはクリア出来そう。とりあえずもう5キロ 35キロまで粘ってみよう。
32キロ過ぎ、和田岬方面に入ってくると はじめて土地勘のない場所を走った。
だんだん呼吸も苦しくなってきた。
あれだけいた3:30の集団は、もう縦に長くバラけている。
集団後方にはいたつもりが ペーサーがつけている風船がかなり前に見える。
次々と前を走るランナーが歩き出す。
それでもいいペースで走っているランナーを 見つけてはついて行く作戦で、絶対に諦めないと決めていたので走り続けた。
33キロの給水をとったので 35キロ左手の湊小学校前の給水は取らず、フラフラと沿道側を走っていたその時…
「せいこちゃんがんばれ〜! 」
という声援が!
姉と姪っ子ゆい・ななちゃんが、もう一度応援に来てくれていた。
しかも並走してくる。 「がんばって〜」と言いながら。
「ありがとう〜」「めっちゃ元気でた!」 と大声で返す。
あ!ここはもうハーバーランドではないか。
モザイクのところだ。気がついたら景色が急に明るくなった。
よし!あと7キロ。ここから登りに入るけど、尚巴志に比べたら大した坂ではない。
むしろ「アクセントになって嫌いじゃない」と言い聞かせて、どんどん坂を登っていく。
「登り切ったら一回大きく深呼吸して」「下りも前傾でリラックス〜」 という弁慶さんの声が聞こえた気がした。
2020年おきなわマラソン、後半最後の下りで 「もう自己新は確実だから記録伸ばすのに集中して」 と言われたことを思い出し、最後まで、1秒でも早くゴールしようと走り切った。
結果、ネットタイムでギリギリだけど サブ3.5できていました。
紛れもなくクラブの代表やコーチ、仲間、 いつも応援してくれる家族や友人のおかげです。
大会運営に関わる皆様やボランティア、沿道の応援、交通規制に協力してくださった皆様。
すべての皆様に感謝。こうやってまた走れるようになったことに感謝です。
”ありがとうございます”
グロスでもサブ3.5
■2024年3月 名古屋ウィメンズマラソン(03.27.42)
ここでようやくグロスでもサブ3.5できました。
出走した全員が素晴らしい記録を出していて、練習の成果を出し切りました。
男子はシティーハーフに出場
仲間と一緒にが元気にスタートラインに立ったこと、スライドや沿道での応援、ゴールした瞬間のことなど、たくさんのドラマがあり載せきれません。
思い出すと、いまも感動の渦が押し寄せてきます。
これからについて
予定していた2〜3年より期間は長くなりましたが転勤族のため、9月いっぱいで沖縄を離れることになりました。
転居先にはBTRC沖縄のようなランニングクラブがあるとは限りません。
恵まれた環境に身を置くことができ、贅沢で充実した沖縄生活でした。
仕事を充実させ収入を得て不自由なく生活していくことも大事ですが、プライスレスで心が豊かになる経験ができたこと、人とのご縁が本当のご褒美だったと思います。
ランを通じて知り合った仲間は離れていても必ずどこかで繋がっていて、ガーミンコネクトやストラバを見ているとすぐ近くに感じることができますし、応援ナビなどで皆さんのbreakthroughを全力応援していますし、大会や旅ランをご一緒したり、これからもお付き合いいただきたいと思っています。
あと、女性の皆さんへ。
残念ながら、思ったより女性の身体は強くない場合があります。
必ず定期健診を受けて、安心と根拠のある自信を手に入れ、思う存分目標にチャレンジして欲しいです。
みなさん色々あると思いますが、今走りたくても走れない人も行動すれば必ず走れる日が戻ってきます。
私は『できることを、できるときに、できるだけ』やることを心掛けて、後悔ないよう、これからも自分の道を走り続けいきたいと思います。
沖縄では大変お世話になりました。
くれぐれもお身体に気を付けて、皆さんのご健康とご活躍をお祈りしています。
そして、これからもどうぞよろしくお願い致します。
おまけ
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